彙整: Travel Post

伊賀流忍者博物館

伊賀流忍術発祥の地にある博物館。忍者屋敷と忍者体験館、忍者伝承館の3施設から成る。伊賀の山奥にあった江戸時代後期の農家を移築し、伝承されてきた仕掛けからくりを復元した忍者屋敷では、さまざまなからくりを見学できる。忍者体験館では、豊富な資料と映像で意外な忍者の姿を学べ、忍者が使用した手裏剣の体験も。忍者伝承館では現代社会にも応用できる忍びの術を紹介。本物の武器を使用した大迫力の忍術実演ショー(有料)も必見だ。

伊賀くみひも 組匠の里

伝統的工芸品の伊賀くみひもを展示販売。1階では物販と個人体験、2階は資料室などがある。くみひも体験では自分だけのキーホルダーやブレスレットを作成できる(1回1100円)。

武家屋敷入交家住宅

藤堂家に仕えた入交勘平が寛政年間(1789~1800)に拝領した武家屋敷で、その特徴である長屋門は三重県内で唯一現存するもの。展示室には各建物の説明パネルや古文書、入交勘平の具足などを展示。茅葺屋根の主屋と腰板張りの土蔵などが立つ屋敷風情に、中級武士の暮らしぶりが垣間見られる。平成18年(2006)から三重県指定有形文化財として公開。

鍵屋の辻史跡公園

時代劇で有名な「伊賀越仇討」の舞台となった所。ことの発端は寛永7年(1630)、備前岡山藩の渡辺源太夫[わたなべげんだゆう]が河合又五郎[かわいまたごろう]に惨殺されたことにある。実弟を殺された渡辺数馬[かずま]は、義兄の荒木又右衛門の助太刀を得て、4年後の11月7日の早朝、死闘ののち、ここで又五郎一行を討ち果たし、見事本懐を遂げる。

伊賀上野城

天正13年(1585)、筒井定次が築城。慶弔13年(1608)、筒井に代わって伊賀に移封になった築城の名手、藤堂高虎が大改修をし、西側に日本屈指の高さを誇る石垣を築いた。五層の天守閣は竣工直前の慶長17年(1612)、暴風雨のため倒壊した。現在の天守閣は昭和10年(1935)、木造で復興したもので伊賀市指定文化財。内部に藤堂家ゆかりの武具や調度品、著名人の書画など多数の資料を展示。城跡は国の史跡指定を受けている。

蓑虫庵

芭蕉五庵の一つで、唯一現存する庵で、三重県指定文化財史跡になっている。門弟服部土芳[はっとりどほう]の草庵で、庵開きの祝いに芭蕉が贈った句「みの虫の音を聞に来よ草の庵」にちなんで名付けられた。土芳はここで蕉風俳論「三冊子」を執筆した。

俳聖殿

芭蕉生誕300年を記念し、昭和17年(1942)に上野公園内に建てられた。ユニークな形は芭蕉翁の旅姿を表す。丸い屋根は笠、八角形のひさしは袈裟、柱は行脚する翁の杖、俳聖殿の額は顔をイメージしているという。

史跡旧崇広堂

文政4年(1821)、津の藩校、有造館[ゆうぞうかん]の支校として第10代藩主藤堂高兌[とうどうたかさわ]が建築。講堂、御成門、表門、有恒寮[ゆうこうりょう]、小玄関、台所棟などが残されている。なかでも72畳の広さを誇る講堂は圧巻だ。

念佛寺

7つの寺が並ぶ、寺町の南端に位置する。本堂の木造阿弥陀如来坐像は重要文化財。百躯観音を安置する六角堂や鐘楼など、みどころは多い。伊賀越仇討ちで荒木又右衛門の従者だった、河合武右衛門の墓所でもある。

菅原神社(上野天神宮)

学問と文芸の神様を祀る神社。別名を上野天神宮ともいう。慶長16年(1611)、伊賀上野城とともに藤堂高虎が再建。29歳の芭蕉が江戸に発つにあたって、処女句集『貝おほひ』を奉納しており、鳥居横には芭蕉の句碑もある。伊賀市最大の祭礼、上野天神祭はこの神社の秋祭りだ。

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