雪窓公園

浅間山を望む景勝の地に建設された、6万平方mの敷地面積を誇る公園。設備の整った野球場や多目的グラウンド、楽しく遊べるちびっこ広場などがあり、休日は家族連れやスポーツで汗を流す若者たちで賑わう。トイレや駐車場も整備。広い芝生部分には、数多くの桜が植えられている。
浅間山を望む景勝の地に建設された、6万平方mの敷地面積を誇る公園。設備の整った野球場や多目的グラウンド、楽しく遊べるちびっこ広場などがあり、休日は家族連れやスポーツで汗を流す若者たちで賑わう。トイレや駐車場も整備。広い芝生部分には、数多くの桜が植えられている。
土蔵と白壁の立派な塀が目を引く本陣跡、千本格子の窓を持った問屋跡、重厚な造りの下の問屋跡が立ち並び、穏やかな町並みを形成している。かつて旅籠が5件という小規模な農村だったため、大名は華やかな追分宿に泊まり、多くの姫君たちがここを利用した。そのため「姫の宿」ともよばれている。また、毎年8月16日には、皇女和宮より授かった拝領人形にちなみ、小田井宿祭りが行なわれている。
用明2年(587)聖徳太子の父・用明天皇が浅間山の噴火を鎮めるために建立したと伝えられる古刹。広い境内には菊の御紋が掲げられた本堂や長野県宝に指定されている三重の塔、厄除け観音堂、樹齢千余年の神代杉、高さ20mの子育て地蔵尊、甲賀三郎伝説発祥の大沼の池など見どころも多い。龍に化身した甲賀三郎の伝説をモチーフに、7月の最終土曜に開催される御代田町最大のイベント「龍神まつり」は、この古刹から始まる。
本好きの主人が開いたカフェのある古本屋。衣食住、趣味、哲学など、さまざまなジャンルの本がズラリと並ぶ。お気に入りの本を見つけたら、コーヒーを片手に読みふけろう(コーヒー、紅茶は本を購入した人は100円引きになる)。
タイ、インド、ラオス、ミャンマーなどアジア各国の布地やアクセサリーが集まる。手織りや草木染めが施された布地は綿、麻、シルクといったやさしい手ざわりの天然素材ばかり。その布で製作した洋服もチェックして。
軽井沢をこよなく愛した作家堀辰雄に関する資料を保管、展示する記念館。『風立ちぬ』などの名作で知られる堀辰雄は、追分に惹かれ、この地を舞台にした作品をいくつか残している。旧宅の敷地内に建つ記念館には、初版本や直筆原稿、自らデザインした机や椅子などの愛用品を展示。愛読書を陳列した書庫や晩年を過ごした旧宅も保存されている。閲覧室にも堀辰雄の関係資料が揃えてある。この記念館を訪れることにより、堀辰雄と軽井沢の文学にふれることができる。所要30分。
江戸時代、追分宿周辺で使用されていた行灯[あんどん]や帳簿など、当時の様子を今に伝える宿場関係の道具や資料を展示している。千本格子を巡らせた出げた作りの建物は、旅籠[はたご]を模したもの。館内には茶屋の入口を再現した風情漂う囲炉裏端[いろりばた]のコーナーもある。2階には追分宿に関する歴史書や文学図書が閲覧できる図書室が併設され、町指定文化財の大般若経[だいはんにゃきょう]550巻や軽井沢出身の書家稲垣黄鶴[いながきこうかく]の作品など、貴重な所蔵品も見られる。所要30分。
江戸時代、浅間根腰の三宿とよばれた軽井沢、沓掛、追分の3つの宿場の1つで、中山道と北国街道の分岐点「分去れ」には7つの石造物が建ち、今も江戸時代のまま残されている。浅間神社本殿は軽井沢町内最古の建築物で、境内には芭蕉の句碑などがある。近くには追分宿郷土館、追分宿の中ほどには堀辰雄文学記念館もある。
江戸時代、宿場の人々に法令を広めるため、幕府から通達される法度や掟書を掲げた場所。古文書をもとに昭和58年(1983)に復元された。掲げられている高札の本物は追分宿郷土館に収蔵されている。
京都へ向かう中山道と、越後へ通じる北国街道の分岐点。旅人同士が、ここで別れを惜しみ、涙とともに袂[たもと]を分けて旅を続けたといわれるのが、名の由来だ。道標のそばには、石の常夜燈などが、当時のままに立っている。石碑には、「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿」の歌が刻まれている。これは、江戸から来た場合、右へ行けば月の名所更科から善光寺を越えて越後路へ。左に進めば、木曽路から東海道を通り、桜の名所吉野へと道が続いていることを示している。