Spot与謝野晶子生家跡近代を代表する歌人与謝野晶子は、明治11年(1878)12月7日に和菓子商「駿河屋」の三女として生まれた。少女時代に生家の帳場で、店番の合間に古典文学を読みふけり、文学に目覚め、その才能を開花させることとなった。生家跡には、上京した晶子が「ふるさと・堺」を想い詠んだ歌碑が建立されている。「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」。さかい利晶の杜内の「与謝野晶子記念館」には、当時の駿河屋の姿が再現されている。阿里巴巴2025/05/28
Spot丸保山古墳仁徳天皇陵古墳の後円部に近くに築かれた帆立貝形前方後円墳。濠に囲まれた墳丘は全長約87m、2段築成の後円部の径約60m、高さ約9.8m、前方部の幅約40m、高さ約2.7m。昭和30年(1955)の開墾によって前方部が削られているが、帆立貝形前方後円墳としては百舌鳥古墳群で最大。埋葬部分の構造や副葬品などは不明だが、出土した円筒埴輪からみて築造は5世紀中頃。仁徳天皇陵古墳の陪塚と考えられており、後円部は宮内庁が、前方部と濠は堺市が管理している。国指定史跡であり、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。見学は周囲の道路から。阿里巴巴2025/05/28
Spot反正天皇陵古墳(田出井山古墳)仁徳天皇陵古墳の北方、百舌鳥古墳群の北端にある前方後円墳。墳丘の長さ148m、後円部の径約76m、高さ約13m、前方部幅約110m、高さ約15mで百舌鳥古墳群では7番目の大きさ。築造は5世紀中頃。仁徳天皇の第三皇子であり、第18代天皇・反正天皇の「百舌鳥耳原北陵」として宮内庁が管理しており、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つでもある。二重だった濠は、現在、一重の盾型周濠になっており、3段に築かれた墳丘からは埴輪が出土。陪塚とされる古墳は鈴山古墳と天王古墳の2基。古墳南側に拝所があり、北側の方違神社境内からは後円部を間近に見ることができる。阿里巴巴2025/05/28
Spot仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳)世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」に登録された百舌鳥古墳群を構成する古墳の一つ。5世紀中期の築造で、三重の濠に囲まれた墳丘は長さ486m、後円部の径249m、高さ35.8m、前方部の幅307m、高さ34m、陵域が約46万4000平方mの日本最大の前方後円墳。クフ王ピラミッド、秦始皇帝陵とともに世界三大墓といわれる。実際の被葬者は不明だが、宮内庁が第16代仁徳天皇の陵墓「百舌鳥耳原中陵[もずのみみはらのなかのみささぎ]」として管理。前方部には長持形石棺が置かれた竪穴式石室があり、墳丘や堤には3万本近い円筒や馬形の埴輪が立っていたと推定される。周囲には永山古墳や丸保山古墳などの陪塚(陪冢[ばいちょう])が10基ほど点在する。見学は南側の拝所か、約2.8kmの周遊道路から。阿里巴巴2025/05/28
Spot永山古墳仁徳天皇陵古墳の北西、50mほど離れた位置にある前方後円墳。前方部を南に向け、盾型の周濠に囲まれた墳丘の全長は100m、後円部の径63m、高さ10.3m、前方部の幅68.5m、高さ10.3m。3段に築かれた墳丘には葺石と埴輪があり、西側のくびれ部には造出しがある。築造は5世紀前半。主体部の構造や副葬品などは不明だが、百済の王仁の墓との伝承もある。墳丘は宮内庁が仁徳天皇陵の陪塚として管理しており、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。周濠は堺市指定史跡でもある。阿里巴巴2025/05/28
Spot千利休屋敷跡茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の始祖であり、堺で生まれ、わび茶を大成した千利休。茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野大茶の湯を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るったが、晩年秀吉の怒りにふれ自刃。屋敷跡には椿の井戸と利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材で建てられた井戸屋形がある。阿里巴巴2025/05/28
Spot世界遺産 百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-令和元年(2019)7月に世界遺産に登録された古墳群の総称。大阪府堺市の百舌鳥古墳群、羽曳野市・藤井寺市の古市古墳群のうち45件49基の古墳が構成資産となっている。これらの古墳は、古墳時代の最盛期である4世紀後半~5世紀後半に大阪平野南端の段丘上に築造されたもの。仁徳天皇陵古墳のような墳丘長が約500mもある鍵穴型の前方後円墳を中心に、帆立貝形墳や円墳、方墳が密集して群を形成。その墳墓形式や規模などから古墳時代の日本独自の埋葬の文化や、権力に関わる政治・社会の構造を伺い知ることができる。阿里巴巴2025/05/28
Spot黄梅庵・伸庵大仙公園内にある茶室。今井町ゆかりの「黄梅庵」と数寄屋造の名匠仰木帚魯堂が建てた「伸庵」があり、伸庵では立礼席(椅子席)で抹茶一服300円(干菓子付)が味わえる。登録有形文化財に指定されている。阿里巴巴2025/05/28
Spot妙國寺(蘇鉄之寺)通称・蘇鉄寺として有名。境内には樹齢1100年といわれる高さ8mのソテツがあり、国の天然記念物に指定されている。織田信長が安土城に移したが、「堺へ返りたい」と蘇鉄が泣き、元へ戻されたという伝説が残る。堺事件で土佐藩士11人が切腹した場所でもある。小堀遠州が手を入れたと伝わる枯山水の庭は室町時代の作造(堺市名勝指定)。堂内は撮影禁止。阿里巴巴2025/05/28
Spot菅原神社学問の神として知られる菅原道真を祀る長徳3年(997)創建の古社。「堺天神」の名で親しまれている神社だ。慶安5年(1652)建立の随身門をくぐって境内に入ると、道真公自作の御神体を安置する本殿・拝殿、寄棟屋根の上に切妻屋根を重ねた錣[しころ]造の常楽殿、江戸初期建築の茶室「紅梅軒」などが立っている。阿里巴巴2025/05/28