归档: Travel Post

大妻笼

妻籠宿を南に行ったところにある集落で、古民家が軒を連ねる。ひときわ大きな袖卯建[そでうだつ]のある出梁[だしばり]民家が風情豊かな景観を作り上げている。

一石白木改番所迹

檜、サワラなどの木曽五木をはじめとする、伐採禁止木の出荷を監視していた番所の跡地。当時は無断で木曽の木を持ち出すと「木一本首一つ」といわれるほど罰則が厳しかった。もとは妻籠の下り谷にあったが、寛延2年(1749)の山崩れにより一石栃に移され、以後統制は明治2年(1869)の藩籍奉還まで続いた。現在は木の柵が復元され、標示板が掲げられている。

脇本阵奥谷

南木曽町博物館のひとつ。妻籠宿の脇本陣・造り酒屋であった林家の屋敷で、「奥谷」とは林家の屋号。現在の建物は木曽五木[ごぼく]の禁制が解かれた明治10年(1877)に建築され、総檜造り。当時の粋を集めて建てられた。島崎藤村の初恋の人「おゆふさん」の嫁ぎ先でもあり、敷地内の土蔵には肖像画や愛用品、藤村から送られた書などゆかりの品が展示されている。また、平成13年(2001)6月15日付で南木曽町博物館で「脇本陣奥谷」として公開されている「林家住宅」の主屋、文庫蔵、土蔵、侍門が国の重要文化財に指定された。

藤原家住宅

大妻籠にある古民家で、17世紀中頃に建てられた、県内の民家でも有数の歴史ある建物。昭和53年(1978)県宝に指定された。

妻笼宿本阵

南木曽町博物館のひとつで、宿駅が制定されてから代々妻籠宿の本陣・庄屋を務めた島崎家の邸宅。藤村の母ぬいの生家でもある。明治20年(1887)代に一度取り壊されたが、江戸時代後期の間取り図を元に再建された。島崎家の居住と、大名が泊まった御上段の間や家来が使った部屋まで、往時の姿のまま忠実に復原されている。

妻笼宿高札场

幕府が庶民に対し、禁制や法度[はっと]、罪人の罪科などを示した掲示板。現在の官報掲示板に当たる。脇本陣奥谷[おくや]から北に100m、江戸方面から宿場へ入る入り口付近にあり、江戸幕府の威信を示すためか人々を見下ろすような形で高札が掲げられている。現在見られる屋根付きの高札は、江戸時代の姿をそのままに復元したもの。掲示板の実物は、南木曽町博物館に収蔵展示されているので、あわせて見学したい。

立场茶馆

馬籠宿と妻籠宿の中間にある一石栃[いちこくとち]は、古くから旅人が疲れを癒す休憩地として栄えたところ。往時は界隈に7軒ほどの家が立っていたが、現在残るのは牧野家ただ1軒となる。南側が取り壊され、規模はやや縮小したものの、江戸時代後期の姿を今にとどめている。

下嵯峨屋

昭和43年(1968) 拆除了原来是长屋的一栋建筑物,恢复了建造当初的样子。在单土间保持并列二间取的形式,是妻子笼中平民的典型房屋。内部放置了衣和笼等生活用具,可以窥见江户时代平民的生活。

上嵯峨屋

昭和44年(1969年) 被解体复原,推定为江户中期建造的木租宿。夹着中央的土间,两侧排列着房间,是罕见的中土间形式的构造,是民宅历史上珍贵的建筑物。很好地保留了建筑当初的形式。也有聚集了旅客的围炉里的铺有木板的房间,可以看出当时是平民的旅行箱的气氛。

光德寺正殿

享保10年(1725),脇本阵的林家在光德寺内建立。其中有镶着黄莺的走廊、山冈铁舟的书、尾张德川家的笼等。其中必看的是挂在正殿旁边的库里的带车的独特的轿子。据说是天保年间 (1830 ~ 44) 顺应和尚设计的人力车的原型,成为町的文化财产。

联系人: Business & Personal Inquiries

By proceeding, you agree to our Terms of Use And confirm you have read our Privacy Policy .

Notes

・We are available for inquiries 24 hours a day.Responses will be provided between 9:00 and 18:00 (excluding weekends,public holidays,and year-end/New Year holidays)。
Depending on the nature of your inquiry,it may take some time for us to respond。