
交易の中継地として繁栄した港町・敦賀

敦賀港は、敦賀湾奥部に位置する天然の良港として、古くから日本各地域とアジア大陸を結ぶ交易拠点として栄えてきました。江戸中期以降西廻り航路の発達によって、敦賀港は北前貿易の中継拠点として、また、蝦夷地開発に必要な建築資材、生活必需品の供給基地として繁栄しました。明治時代には、ウラジオストクとの定期航路が開かれ、国際港として発展。さらに1912年には「欧亜国際連絡列車」の運行が開始され、シベリア鉄道を通じてヨーロッパと直接つながる交易の要所となりました。
命をつないだ港 ― ユダヤ難民を迎えた敦賀の歴史
敦賀は、数々の困難を乗り越えて日本に降り立った人々を迎え入れた「人道の港」としても知られています。第一次世界大戦後には、ロシア革命の内戦によりシベリアで家族を失ったポーランドの子どもたちが、日本赤十字社などの救済活動によって敦賀に上陸しました。また、第二次世界大戦中には、外交官だった杉原千畝(すぎはら ちうね)がナチスの迫害からユダヤ人を逃がすために発給した「命のビザ」を持った難民たちが、シベリア鉄道を経て敦賀に上陸しています。
このような救済のエピソードや、彼らを温かく迎え入れた敦賀市民の姿勢は、国境を越えた人道支援の象徴として世界に誇るべき価値を持っています。


港がつなぐ世界 ― 日本海側有数の物流拠点港湾
歴史的な人道支援の精神を受け継ぐ敦賀港ですが、現在は、国内外に定期航路をもつ物流拠点港湾となっています。特徴的なのは充実した内航航路です。苫小牧とのフェリー・RORO航路は、関西・中京方面と北海道との基幹航路として、週14便運航しています。また、日本海側で唯一、北海道と九州両方に向けてRORO航路が就航しており、北海道と九州間のシームレスな海上輸送を実現しています。

国外向けには韓国(釜山)との定期コンテナ船(上部写真)やRORO船を有しており、国際物流港湾としても重要な役割を担っています。このほか、2024年問題などで海上輸送網の重要性が高まっており、敦賀港の港湾荷役の効率化、利便性の向上に向けたターミナルの拡張工事が進められています。
新幹線と港がつなぐ国際ビジネス拠点への進化

2024年に北陸新幹線が延伸し、敦賀―東京間の直通の新幹線は1日14往復走行。乗り換えなしでアクセスできるようになり、東京からの利便性は飛躍的に向上しました。また、関西・中京圏へのアクセスも良好で、北陸新幹線が止まった場合も在来線や高速道路で代替手段が確保しやすく、ビジネスや観光に非常に便利です。そして、新幹線駅周辺の再開発も進み、都市機能の充実とともに、国内外の人・モノの流れを加速させる拠点として注目を集めています。こうした陸路の強化は、国際物流ハブ化に向けた大きな一歩です。敦賀は、人とモノをつなぐ「北の玄関口」として進化を続けています。
国際交流の拠点としての可能性
このように、敦賀は、陸・海の結節点となる物流拠点港湾としての機能に加え、人道支援や国際交流の象徴としての歴史・役割を担うことで、国際ビジネスの新たな可能性を拓いています。さらに、SDGsに基づく地域の取り組みや、国際機関との連携を通じて、持続可能で平和な社会の実現に向けた取り組みを進めています。新たな拠点を求める企業や観光客にとって、敦賀は「人道・共生・国際性」を体現する魅力的な場所といえます。
- 記載のデータは2025年8月時点のものです。