法隆寺 南大門 300mほどの松並木の参道の先に位置する法隆寺伽藍全体の国宝の総門。三間一戸、入母屋造の八脚門で、木鼻[きばな]や花肘木[はなひじき]に大仏様の影響がみられる寺院建築様式の門。法隆寺創建時は中門前の石段の位置にあったが、長元4年(1031)に現在地に移され、室町時代の永享7年(1435)に焼失、永享10年(1438)に再建、今日に至る。四隅の軒反りの曲線が美しい本瓦葺きの屋根と、法隆寺七不思議の一つで、踏むと水難除けになると伝わる門前の「鯛石」は見逃さないように。
法隆寺 東大門 法隆寺の西院と東院の間に立ち、「中ノ門」ともよばれる国宝の門。切妻造、本瓦葺き、三間一戸の八脚門。三棟造[みつむねづくり]という奈良時代の門の典型的な型式で建てられており、門内で天井を見上げればその構造を確認できる。昭和の修理の際、平安時代末の藤原時代に現在の位置に移建されたことが分かった。
法隆寺 伝法堂 法隆寺の絵殿・舎利殿の後方にある東院の講堂。夢殿と同じころの創建とみられる。聖武天皇の夫人であった橘古那可智[たちばなのこなかち]の住宅を仏堂に改造したもので、天平期の住宅遺構として貴重。正面7間、側面4間。本瓦葺きの緩やかな切妻屋根を上げる。側壁の虹梁[こうりょう]と蟇股[かえるまた]の架構が美しい。天井は化粧屋根裏で、天蓋が吊られ、床は当時としては珍しい板敷。堂内には3組の阿弥陀三尊像(重要文化財)など多くの仏像を安置する。
金峯神社 世界遺産 延喜式内大社名神大社。吉野山の奥千本にひっそりと立つ古社で、金峯山(吉野山から大峯山上ケ岳一帯)の地主の神。金精明神[こんしょうみょうじん]ともよばれる金山毘古神[かなやまひこのかみ]を祀る世界遺産の神社。中世以降、修験道の行場として知られる。藤原道長が参詣し埋納した金銅製の経筒(国宝)が江戸時代に発掘された。社殿を少し下った所に、追っ手に追われた源義経が身を隠したという義経隠れ塔が残る。追っ手に囲まれた際、屋根を蹴破って逃げたことから、蹴抜けの塔ともいわれる。
金剛寺 平重盛[たいらのしげもり]によって平安末期に創建されたと伝わる古刹。本堂に藤原時代作の本尊薬師三尊像を安置する。ボタンの名所としても知られ、季節には100種1000株の艶やかなボタンが咲き誇る。ツツジ、大山レンゲや小菊も美しい。