宗像大社沖津宮遙拝所 大島北側にある沖ノ島(宗像大社沖津宮)の遙拝所。島全体がご神体である沖ノ島は厳格な禁忌によって古くから一般人の渡島は禁止。そのためこの地から遥か沖に浮かぶ島を拝してきた。遙拝所への石段脇に立つ「寛延3年(1750)」と刻まれた石碑から、江戸中期には遙拝所が造られたと分かる。現在の遙拝所は昭和8年(1933)の建築。天気の良い日にはここから約50km離れた水平線に浮かぶ沖ノ島を拝することができる。世界遺産“「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群”の構成資産の1つ。
沖ノ島(宗像大社沖津宮) 九州本土から約60km沖に浮かぶ周囲4kmの「神宿る島」と呼ばれる島。宗像三女神の1柱である田心姫神[たごりひめのかみ]を祭る沖津宮であり、小屋島、御門柱、天狗岩の3つの岩礁をもつ島全体がご神体だ。航海の道標となり、皇室・国家の安泰を願って国家祭祀が行われた。社殿が立つ島南西側の中腹には22もの祭祀遺跡が残り、祭祀の変遷を示して国指定史跡に、遺跡から出土した神宝約8万点は国宝に指定。今も厳格な禁忌が受け継がれ一般の入島は不可。世界遺産“「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群”の構成資産。
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群は、「神宿る島」を崇拝する伝統が古代東アジアの活発な対外交流の中で発展し、今日まで継承されてきた貴重な遺産群だ。沖ノ島(宗像大社沖津宮)では、古代祭祀遺跡がほぼ手つかずの状態で守り伝えられてきた。その祭祀は大島の宗像大社中津宮と九州本土の宗像大社辺津宮にも広がり、沖ノ島を遥拝するための沖津宮遙拝所も設けられた。新原・奴山古墳群は、信仰の伝統を築いた古代豪族宗像氏の墳墓群だ。
寺町 江戸時代に久留米城防御のため寺院が集められた町。17の寺院が建ち並び、今でも江戸時代の面影が残っている。それぞれの趣ある寺には、久留米で活躍した多くの先人の墓碑がある。最もよく知られた人物は、勤王の志士高山彦九郎・久留米餅の始祖の井上伝・久留米つつじの始祖坂本元蔵・洋画家古賀春江などがいる。
水天宮 全国にある水天宮の総本宮。安徳天皇の生母・高倉平中宮[たかくらたいらのちゅうぐう]に仕えた按察使局[あぜちのつぼね]伊勢が、壇ノ浦の合戦で滅亡した平家の霊を弔うために祀ったのが始まり。安産、子授け、水難除け、子どもの守護神として知られる。
福聚寺 足立森林公園の一角にある黄檗宗[おうばくしゅう]の寺。藩主・小笠原忠真[おがさわらただざね]が寛文5年(1665)に建立した。その後、幕末の長州騎兵隊の兵火や火災などで消失した。本堂は享保2年(1717)に再建。開山堂などは明治以降に建てられた。本堂裏に庭園があり、足立山を借景に自然石を配した雪舟庭は必見。裏山方面の境内は一部見学不可のところがあるので注意しよう。