シムスケー シムスケーとは旧シムス村跡にある古井戸のこと。その昔、7カ月にも及ぶ大干ばつの際、1頭の牛がこの地を前足で掘り水を飲んでいた。それを見た人々はここに井戸を掘り、水を得て、命を救われたと伝えられている。
モンパの木 ニシ浜ビーチの近く、海を見渡せる坂道の途中にある小さなみやげ店。波照間の海からとってきた夜光貝を主人が削って作るペンダント600~4000円や、奥さんがデザインした波照間Tシャツ2500円を販売。三味線もようの手ぬぐい1000円は、ここでしか買えない人気アイテム。鮮やかなペイントが目印だ。
ぶりぶち公園 一周道路を少し外れた森の中にある。本土復帰を記念して島民により整備された一帯は下田原城とよばれる城跡で、石組みの城壁が残っている。また近くには下田原貝塚や大泊貝塚もあり、島の古代史を今に伝える重要な場所となっている。
立神岩 切り立った断崖に囲まれた与那国島の中でも、東南部は最も厳しく、男性的な風景を持つエリア。荒い外海により気が遠くなるほどの時間をかけて造り出された奇岩が点在する。東崎からほど近いところでは、幾層にも分かれた断層を岩肌に見せるサンニヌ台がある。展望台からは、その名の通り軍艦のように見える軍艦岩が、今も波に洗われているのが見える。サンニヌ台から歩いて5分ほどの場所には、その岩の頂上から降りられなくなった若者が、神様に助けられたという伝説が残る立神岩が屹立している。
中村家住宅 約280年前に建てられた豪農屋敷で、沖縄戦の戦災を免れて琉球王朝時代の民家構造を完全に残している。享保10年(1720)頃には地頭職であったため、士族屋敷の形式としての風格もある。ほかにもトゥングワとよばれる屋根裏部分を物置きに使用するために屋根が低くなっている台所や、フールとよばれる豚小屋などに特徴がある。中世の日本の家屋と中国の建築の影響が随所に見られ、琉球時代の裕福な農家の暮らしを今に伝えている。