善通寺市立郷土館

善通寺市内の古墳群から出土した副葬品などの貴重な考古資料や、民俗資料などを展示する。古代から栄えた土地柄で貴重な文化遺産が多く残る街にある。総本山善通寺東側。

善通寺市内の古墳群から出土した副葬品などの貴重な考古資料や、民俗資料などを展示する。古代から栄えた土地柄で貴重な文化遺産が多く残る街にある。総本山善通寺東側。

明治36年(1903)竣工。元は陸軍第十一師団将校のための社交場。木造平屋建て、外観は簡明なルネサンス様式をとる。平成13年(2001)に国の重要文化財に指定された。平成16年(2004)から平成19年(2007)まで保存修理がなされ、現在は一般公開されている。善通寺市民の社交の場として貸館をしており、結婚式やレセプションに利用可能。隣接する付属棟にはカフェを併設。

7世紀初頭につくられた古墳で、壁面に線刻画が描かれた全国でも珍しい装飾古墳。昭和59年(1984)に国の史跡に指定され、現在は古墳公園として整備されている。毎年4月29日は石室内を一般公開。

善通寺市には数多くの古墳が残る。市の南西部に広がる有岡古墳群の1つ、王墓山古墳は6世紀前半につくられた前方後円墳。7世紀初頭に作られた宮が尾古墳には、全国的に注目されている壁画がある。大麻山中腹にある、野田院古墳は標高約400mに築かれた積石塚古墳。いずれも国指定史跡で史跡公園として整備され、毎年4月29日は石室内を一般公開。

四国霊場第72番札所の曼荼羅寺は、弘法大師の祖先に当たる佐伯一族の氏寺だった古寺。大同2年(807)に空海が曼荼羅を安置し、大日如来を祭って伽藍を整えたと伝えられる。境内には、仁安3年(1168)西行法師が来寺した際に昼寝をしたという「晝寝石[ひるねいし]」もある。また、平成14年(2002)に枯死した不老松の幹から彫り出した笠松大師像を拝みながら、往時の笠松を偲ぶ人は後を絶たないという。

真言宗善通寺派の総本山で、四国霊場第75番札所。弘法大師(空海)誕生の地として有名で、京都の東寺、和歌山の高野山とともに弘法大師三大霊跡の一つ。広大な境内は東西2つの院に分かれ、東院には五重塔、金堂、釈迦堂などが立ち並ぶ。誕生院とも呼ばれる西院は、御影堂に戒壇巡りの暗い地下道が設けられ、奥殿は大師誕生の場所とされる。宝物館には、地蔵菩薩立像や吉祥天立像(ともに国指定重要文化財)をはじめ数々の寺宝が展示してある。

寺伝によると、7歳の弘法大師が人々を救いたいと発心、「わが願いが叶うなら釈迦如来よ姿を現したまえ、もし叶わぬのならこの身を諸仏に捧げる」と我拝師山の断崖から身を投げた。すると釈迦如来と天女が現れ、天女に抱きとめられたという。

弘法大師が薬師7体の石像を刻みお堂を建てた所に後年再興されたもの。お参りすると乳の出が良くなるので「乳薬師」ともいわれる。

静かな森の中で地元出身の英霊3万5800余柱を祀る。戦没者遺品を納めた史料館(入館無料)もある。

四国霊場第76番札所。弘法大師の姪の子で天台寺門宗の宗祖、智証大師(円珍)の生誕地。本尊の薬師如来像は円珍作と伝わる。本堂左手には、円珍ゆかりの訶利帝母尊(鬼子母神)が祀られている訶利帝堂が立つ。明治29年(1896)、乃木希典[のぎまれすけ]将軍が旧陸軍第11師団創立時に宿舎としたことも有名。