夕やけだんだん

戦後の厳しい時世のなか、スタンプサービスや特売日などのアイデアで活性化に成功した、昔ながらの姿を残す谷中銀座商店街。商店街入口にある36段の階段は「夕やけだんだん」とよばれる夕日のベストスポットだ。

戦後の厳しい時世のなか、スタンプサービスや特売日などのアイデアで活性化に成功した、昔ながらの姿を残す谷中銀座商店街。商店街入口にある36段の階段は「夕やけだんだん」とよばれる夕日のベストスポットだ。

日暮里駅東口から東に伸びる日暮里中央通りに沿って、約90店舗の繊維の店が並ぶ。生地はもちろん、衣類、アクセサリー、付属小物や皮革など、繊維に関するものならなんでも揃う。なかには50~80%オフという目玉品もあり、連日多くの客で賑わっている。年に4回の大きなセールを行うので、そのときが狙い目。

都電と平行して三ノ輪橋から続く商店街は、活気と安さが自慢。両側びっしり商店が軒を連ね、食べ歩きも楽しめる。全蓋アーケード直線式400m。気軽に声かけ、昭和の人情商店街として人気だ。

別名・小台大通商店街。街路樹としてヒメリンゴが植えられ、春には可憐な花が咲き、秋には赤い実をつける。

大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)のホームグラウンド。下町の低層住宅街に造られた、当時最新の設備を持った巨大なスタジアムは、ナイター照明の美しさから「光の球場」とも呼ばれた。球場は昭和37年(1967)5月に竣工したが、オーナー企業の経営不振などから昭和47年(1972)に閉鎖、昭和52年(1977)には解体された。現在は野球グラウンドや体育館、プールなどのある総合運動施設で区民のスポーツの殿堂として親しまれている。

鈴ケ森、大和田と並び、江戸の三大刑場のひとつ。南千住駅の西側、延命寺のあたりに存在した。寺の境内には首切地蔵が残される。隣の南千住回向院には、安政の大獄で処刑された、吉田松陰ら志士たちの墓や杉田玄白らが解剖(腑分け)見学をきっかけに『解体新書』を刊行したことを記念した観臓記念碑がある。

飛鳥山と三ノ輪橋を結ぶ王子電気軌道(現・都電荒川線)が開通した翌年の大正3年(1914)、碩運寺の住職が井戸を掘ったところラジウムを含む鉱泉が発見された。そこで境内に「寺の湯(のちの不老閣)」を開業。ここを核に周辺には料理屋、芸妓屋、待合のいわゆる三業地が形成された。時を同じく「あらかわ遊園」が開園して、尾久周辺は郊外の一大歓楽地として発展したのだ。

平安時代 延暦14年(795)創建、素盞雄大神と飛鳥大神を御祭神とする。荒川区内でもっとも広い氏子区域となる南千住・三ノ輪・三河島・町屋61ケ町の鎮守で、平成7年(1995)には御鎮座1200年祭が斎行された。境内には、当社創建の起源となった瑞光石[ずいこうせき]や、母乳の出ない婦人がその樹皮を煎じて飲み、絵馬を掛けて幼児の無事成長を祈ったと伝わる子育て銀杏、松尾芭蕉『奥の細道』旅立ちの句「行はるや鳥啼魚の目ハなみた」を刻む矢立初めの句碑(区指定文化財)などがある。毎年6月には二天神輿振りの天王祭(区登録無形民俗文化財)が斎行される。

1200年以上前、坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる古寺。幕末の上野戦争で戦死した彰義隊隊員をこの寺の住職が供養した縁から、もっとも激戦地だった寛永寺の総門(黒門)が境内に移築されている。多数の生々しい銃弾の跡が残る黒門は、戦いの激しさを今に伝えている。

明治元年(1868)創業の手づくり飴の店は、昔ながらの天然素材を用いている。創業以来の人気商品であるセキトメ飴1袋300円~は、ショウガ、ヨモギなどの薬草が入っていて、ほのかな甘さがのどの痛みをやわらげる。このほかに、きな粉飴、あんこ飴、さらし飴各1袋300~500円など、懐かしい味が勢揃い。