萩反射炉

安政5年(1858)に萩藩が鉄製の大砲製作のために建設した、西洋式金属溶解炉(史跡)。本体は解体され、下部が玄武岩、上部がレンガ積みの高さ11.5mの煙突だけが残る。薩摩藩や水戸藩などがあいついで建設したが、現存するのは、ここと静岡県伊豆韮山の2基のみだ。

安政5年(1858)に萩藩が鉄製の大砲製作のために建設した、西洋式金属溶解炉(史跡)。本体は解体され、下部が玄武岩、上部がレンガ積みの高さ11.5mの煙突だけが残る。薩摩藩や水戸藩などがあいついで建設したが、現存するのは、ここと静岡県伊豆韮山の2基のみだ。

玉木文之進旧宅前の坂を上った、萩市街を眼下に見下ろす高台。家はすでにないが、跡地横に松陰と弟子の金子重輔が下田沖の黒船を眺めている銅像が立つ。近くに、松陰とその一族、高杉晋作、久坂玄瑞らの墓がある。

松下村塾の東隣に立つ、松陰の実家・杉家の一室。安政元年(1854)、密航に失敗した松陰は、野山獄に投獄され、翌年ここに移されて謹慎の身となった。

吉田松陰の父・杉百合之助の末弟・玉木文之進の家。松下村塾は文之進が天保13年(1842)に近くの師弟を集め、ここで学問を教えたのが始まりで、邸内には松下村塾発祥の地碑が立つ。

松陰神社境内にあり、吉田松陰の叔父、玉木文之進[たまきぶんのしん]が開いた私塾。もともとは松陰の実家の物置だった建物で、和室2間に土間が付いただけの簡素なもの。松陰が指導にあたったのは、謹慎していた幽囚室から通算2年余りだが久坂玄端[くさかげんずい]、高杉晋作、伊藤博文など、明治維新の原動力となった逸材を多く輩出した。

わが国の初代内閣総理大臣・伊藤博文が、9歳の時に山口県東部の光市から萩市へ移り住んだのち、14歳で伊藤家に入家し、本拠とした家(史跡)。博文は約13年間をこの家で過ごし、17歳の時、松下村塾に通って吉田松陰の教えを受けた。隣接地には伊藤が東京郊外に建てた別邸が移築・公開されている。

萩ガラス工房は幕末の科学者・中嶋治平[なかじまじへい]が開発した萩ガラスを復活させた工房。レトロなグリーンや淡い色調の作品が揃う。内ひび貫入グラスのタンブラー3630円~。ガラス体験1650~3700円。

ポン酢製品、夏みかん・橙[だいだい]・柚子を使った商品を販売。少量生産方式で、一玉ずつ丁寧に加工。添加物を使わず、自然の味を生かしている。なかでも「柑橘習慣」は健康飲料として人気。「夏みかんスライス」はオリジナル商品だ。

明神池~笠山山頂(標高112m)~虎ケ崎、明神池~半島北岸~虎ケ崎の2コースあり、ともに所要1時間。笠山山頂からは羽島や見島などが望め、擂り鉢状の直径約30mの噴火口跡も見られる。半島北岸には風穴群やコウライタチバナ自生地(天然記念物)があり、開花する5月には柑橘系の香りを放つ。虎ケ崎には約2万5000本ものヤブツバキの群生林があり、12~3月に咲き競う。2月中旬~3月下旬は萩・椿まつりも開催。笠山の自然を満喫するなら、ぜひ歩いてみたい。

明神池畔に立つ神社で、漁業の守り神として信仰が厚い古社。貞享3年(1686)に安芸の厳島明神を勧請した古社で、航海安全と豊漁の神として信仰が厚い。明神池の魚は、大漁祈願の漁師がここに奉納した魚が繁殖したものだ。境内奥には風穴がぽっかりと口を開け、流れ出す風は夏もひんやりと涼しい。