輪王寺 常行堂・法華堂(輪王寺 二つ堂)

嘉祥元年(848)、慈覚大師による創建と伝えられる。二荒山神社の大鳥居前に立つ堂で、向かって左側が常行堂[じょうぎょうどう]、右側が法華堂[ほっけどう]。どちらも宝形造総朱塗りの建物で、2つの堂宇は橋廊下でつながる。このような形式を担い堂[にないどう]ともよび、他では比叡山などでしか見ることができない。公開は常行堂のみ。

嘉祥元年(848)、慈覚大師による創建と伝えられる。二荒山神社の大鳥居前に立つ堂で、向かって左側が常行堂[じょうぎょうどう]、右側が法華堂[ほっけどう]。どちらも宝形造総朱塗りの建物で、2つの堂宇は橋廊下でつながる。このような形式を担い堂[にないどう]ともよび、他では比叡山などでしか見ることができない。公開は常行堂のみ。

日光山の本堂(重要文化財)にあたり、重層入母屋造、銅瓦葺、間口33.8m、奥行21.2m、伽藍全体に朱塗りを配した東日本最大の木造建造物。嘉祥元年(848)、慈覚大師により創建。元和3年(1617)、東照宮創建の際、二荒山神社の境内に移される。その後明治の神仏分離令により現在の地に移された。堂内には、日光三社権現の本地仏である千手観世音菩薩、阿弥陀如来、馬頭観世音菩薩の三仏が祀られている。

輪王寺三仏堂の後方にある朱塗りの小さな堂。毘沙門天、大黒天、弁財天の開運三天が祀られている(現在は護摩堂に安置)。

輪王寺三仏堂の後方、相輪とうの前に立つ一対の銅燈籠。慶長9年(1604)、家康公により中国産生糸の独占輸入と販売を許可された特権的な商人集団のことを「糸割符仲間」といい、慶安元年(1648)4月、家康公の33回忌に彼らにより奉納されたのがこの糸割符燈籠。当時は商人ゆえ、東照宮神前奉納が許可されずここに据え置かれたのだが、それでも民間奉納では破格の扱いであったという。

二荒山神社神苑内(有料)の二荒霊泉の手前奥、杉の巨木に囲まれて立つ神社。祭神は知恵の神とされる少彦名命[すくなびこなのみこと]。また、神社の隣には良縁の守護神といわれている縁結び笹がある。男女の良縁をはじめ、仕事や友人などあらゆる良縁に恵まれるといわれている。

延暦9年(790)、勝道[しょうどう]上人が日光に神霊を求めて初めて小さな祠を建てた、二荒山[ふたらさん]神社発祥の地。社殿は江戸時代の再建だが、本殿奥の扉を開いて遠くご神体の山を拝むという山岳信仰の形式をとどめている。本殿、唐門・透塀は重要文化財。

二荒山神社拝殿、渡殿[わたりでん]から続く、元和5年(1619)、徳川2代将軍秀忠により、造営寄進された、安土桃山様式の優美な建造物。日光山内では最古の、現存する建築物でもある。内陣と外陣に分かれており、内陣には祭神が祭られている。拝観不可。

二荒山神社神苑内(有料)にある、大谷川[だいやがわ]の巨石や銘石で組まれた霊泉。本殿後ろの恒霊山[こうれいざん]の洞窟から湧き出る、眼病に効くという「薬師の水」と、滝尾神社の境内、天狗沢のほとりに湧き出る名水「酒の泉」が集まる。すぐそばには、お休み処あずまやがあり、霊泉の水で作った甘酒300円や、コーヒー、抹茶400円でひと息つくのもよい。霊水持ち帰り用のポリ容器300円も販売されている。

二荒山神社本殿の透塀に沿って寄進された多くの石燈籠とともに並ぶ唐銅製の燈籠。夜更けに灯をともすと、ゆらゆらと怪しげな姿に変わるというので化燈籠の名がついた。警固の武士に斬りつけられた無数の刀傷が残る。

二荒山神社神門をくぐると、正面にある。弥生祭をはじめ、日々の祭典、御祈祷などが行われる場所でもある。間口16m、奥行き12mの単層入母屋造の建物は、日光の殿堂の中では珍しく彫刻や文様がなく、簡素にして力強い。