北村美術館

代々奈良吉野の林業を生業としていた家に生まれ、茶道美術に造詣の深い北村謹次郎氏が、茶を楽しむために収集した茶道美術品を所蔵、公開している個人美術館。陶磁器、彫刻、絵画、墨蹟、金工、石工、漆工、染色など幅広いコレクションで、『墨画淡彩鳶鴉図』などの国の重要文化財も多数。「四君子苑」と呼ばれる数寄屋造の茶苑も、日を定めて公開している。

代々奈良吉野の林業を生業としていた家に生まれ、茶道美術に造詣の深い北村謹次郎氏が、茶を楽しむために収集した茶道美術品を所蔵、公開している個人美術館。陶磁器、彫刻、絵画、墨蹟、金工、石工、漆工、染色など幅広いコレクションで、『墨画淡彩鳶鴉図』などの国の重要文化財も多数。「四君子苑」と呼ばれる数寄屋造の茶苑も、日を定めて公開している。

環境事業を行うアミタグループが開設した施設。建物は築約150年の京町屋をリノベーションしたもので、1階は各種イベントやセミナーに活用できるコミュニティスペース、2階はアミタの歴史や事業、現代社会の課題などを紹介した「AMITA MUSEUM[アミタミュージアム]」となっている。2階のミュージアムでは、リサイクルや環境問題、環境技術に関する情報カードも配布しており、高校・大学生の環境学習にも利用できる。1・2階とも利用は「風伝館」公式サイトから要予約(利用条件あり)。

茶の湯に関する企画展を開催し、掛物、茶碗、花入などの茶道具や関連の美術工芸品、文献史料を中心とした展示を行っている美術館。2階陳列室には、裏千家を代表する茶室のひとつ「又隠[ゆういん]」の原寸大の写しを設けており、茶室内を見学することができる。また、入館者には椅子に腰かける立礼式の呈茶があり、抹茶と和菓子を楽しめる(10~16時、無料)。そのほか、茶道に関する図書や映像資料など約6万点を収蔵する茶の湯の専門図書館「今日庵文庫[こんにちあんぶんこ]」が併設されている。

京都の歴史資料を収集保存する資料館。福井家京枡座関係など4件の重要文化財をはじめ、9万6000点以上の古文書や絵画、屏風、民俗資料等を所蔵。年3・4回テーマ展・特別展等を実施している。歴史相談、資料の閲覧可。インターネット、SNS等でも、京都の歴史情報を発信している。

京菓子を「見る・食べる・感じる」ことができる文化施設。一階の立礼席「祥雲軒」では出来立ての京菓子と抹茶が味わえ、2階展示室では京菓子の歴史を見ることができる。また、前庭と坪庭に植えられた松竹梅・椿・ホトトギスなどの草木からは和菓子に欠かせない「四季」を感じられる。年一、二回の企画展期間以外は、常設展「和菓子のあゆみ」を開催。古代からの日本の菓子の歴史を紹介しており、菓子屋に伝わる菓子の図案帳や菓子型、菓子器などを展示している。

京都御所、京都仙洞[せんとう]御所、京都大宮御所などを囲む広大な国民公園。東西約700m、南北1.3kmに及ぶ敷地には、東京遷都まで宮家や公家の邸宅が立ち並んでいた。現在は樹齢100年を越える樹林の中、砂利道が真っすぐに続き、緑の芝生に桜、梅など多くの花木も植えられて、四季折々の変化を楽しめる。苑内には蛤御門や近衞邸跡、閑院宮邸跡、九條家ゆかりの茶室拾翠亭など、歴史をしのぶ建物や庭園が残るほか、閑院宮邸跡収納展示館や京都御苑情報館もあり、京都御苑を詳しく知ることができるのでおすすめだ。

江戸後期の儒学者・頼山陽が晩年に住んだ書斎。鴨川に面して窓から東山を望めたことから「山紫水明処」と名付けたという。藁葺き、平屋の簡素な佇まいだ。見学には申込みが事前に必要。往復はがきに見学日時(第2希望まで記入)、人数(2名以上~)、電話番号、代表者の住所、氏名を明記し、〒605-0063 京都府東山区新門前松原町289 頼山陽旧跡保存会宛てで2週間前までに申し込むこと。

仙洞御所とは上皇の御所のこと。後水尾、霊元、中御門、桜町、後桜町、光格の六代の上皇が居住したが、嘉永7年(1854)に類焼。建物は再建されることなく、現在は庭園だけを残す。南池、北池を抱え、巨石、滝組、橋を配した庭園美をみせている。所要時間約1時間。

京都御苑の中央北部に位置。明治維新までの皇居で、現在の御所は元弘元年(1331)に光厳天皇が東洞院土御門殿を皇居と定めたもの。建物は安政2年(1855)の再建だ。紫宸殿は御所の正殿で、中央に高御座を置く宮殿建築。前庭には向かって右手に「左近の桜」、左手に「右近の橘」が植えられている。紫宸殿の奥には清涼殿など優美な建物が立ち並び、王朝時代の宮廷生活を偲ばせている。皇居一般参観、皇居東御苑、京都御所を対象とする6カ国語対応の宮内庁参観音声ガイドアプリを利用すれば、概要や沿革のほか主要な箇所について音声や写真、図などで解説してくれる。詳細は宮内庁ホームページを参照。

堀川通沿いを流れる堀川に架かる小さな橋。平安時代に文章博士三善清行[みよしきよつら]が死去したという知らせを受けた子の浄蔵が、この橋で葬列にあい、柩にすがって神仏に祈ったところ、父が蘇生したので、戻橋と呼ばれるようになったという。秀吉の命で切腹した利休の首が晒された地でもある。