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小値賀島

五島列島北部に浮かぶ周囲30km、人口2300人ほどの島。小値賀町は、小値賀島を中心に、小値賀島と橋でつながる斑島と黒島、定期船が通う大島、納島、六島、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産となった集落跡がある野崎島など、大小17の島々から成る。室町時代には日明貿易の港湾拠点で、江戸時代には平戸藩に属し押役所や遠見番所が設置された島で、笛吹地区には讃岐屋、薩摩屋、大阪屋などの屋号の商家が現在も残る。海風を避けるための石垣の景観は、国の重要文化的景観「小値賀諸島の文化的景観」に選定。複雑な地形の島には亜熱帯性植物や野生生物も多く、懐かしい日本の原風景が残る島として「日本で最も美しい村」の一つにもなっている。姫の松原や赤浜海岸、平戸藩松浦家ゆかりの長壽寺、神方古墳などの見どころのほか、多種類の体験や古民家ステイも好評。

斑島のポットホール(斑島玉石甌穴)

五島列島の北部、小値賀島と橋でつながる斑島。その斑島の北東端、玉石鼻にある国指定天然記念物の甌穴。堅い玄武岩の溶岩の裂け目に海水が入り、その出入りする海水の勢いで欠けた岩が回転。周囲の岩壁を削り取ると同時に、欠けた岩が丸い玉になっていった海蝕による甌穴だ。今もなお甌穴を掘り下げており、穴の深さ約3m、口径は上部が約2m、底部は約1m、玉石は直径50cm。日本国内では最大級で、地元では「玉石様」と呼ばれ、白い鳥居が建てられて神秘的だ。歩道はあるが、険しい岩場なので波が高い日には危険で近づけない。

久賀島の集落

世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産で、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するために選んだ移住先の一つ。18世紀末、五島藩と大村藩の協定により、大村藩の外海地域から潜伏キリシタンの農民が、久賀島にも開拓民として移住。永里や細石流[ざざれ]、大開[おおびらき]、五輪などの集落をつくった。観音像をマリア像に見立てたマリア観音に祈りをささげるなど、集落ごとに指導者を中心にひそかに信仰を続けたという。明治元年(1868)から始まったキリシタン弾圧「五島崩れ」のきっかけは、久賀島の潜伏キリシタンらが長崎で洗礼を受けたことから。今も島内には「牢屋の窄殉教事件」などの史跡が残り、仏教徒の島民と行った漁網の巻き揚げ作業のロクロ場跡、解禁後に建てられた浜脇教会や旧五輪教会堂、各集落に残る潜伏キリシタンの墓地などが歴史を物語っている。

奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)

世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つ。江上集落は、五島列島中部の奈留島北西部に位置する集落。江戸時代末期に、五島藩との協定で大村藩領の外海から移住してきた潜伏キリシタンの一部は、奈留島の永這[ながはえ]や椿原、南越など島内各所に集落を形成した。人里離れた海に近い谷間の江上にも4戸が入植。各集落とも指導者を中心に信仰をひそかに続け、キリスト教解禁後も奈留島では潜伏時代の信仰を維持する人々が多くいたという。江上集落の人々は明治14年(1881)に全員がカトリックに復帰し、明治末期には簡素な教会を建てた。現在の江上天主堂は大正7年(1918)の建立。江上地区を散策すれば、移住地の典型例である谷迫地形[たにさこちけい]の集落の様子や、それに適応して建築された木造教会堂の代表例である江上天主堂の静かなたたずまいを見ることができる。

久賀島観光交流拠点センター

世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「久賀島の集落」として、また、国の重要文化的景観「五島市久賀島の文化的景観」にも選定されている久賀島の観光交流拠点施設。久賀湾最奥部の久賀地区に位置し、明治中期に建てられた木造平屋の古民家「藤原邸」を改修して開設したもので、世界遺産・文化的景観のガイダンス機能をもつ。館内には、久賀島の自然や生業、集落景観や潜伏キリシタンの歴史などを紹介する資料展示室のほか、島のおすすめの観光スポットを写真やマップで紹介する観光案内コーナーも。交流・休憩スペースで休んだら、物販コーナーで「久賀島ファーム」のつばき油などのおみやげを買って帰ろう。3日前までの事前予約で、五島うどんや刺身など久賀島産の食材を使った食事も提供している。

城岳展望所(岐宿城跡)

福江島北部の標高216mの城岳山上にある展望所。宇久五島家8代覚公が弘和3年(1383)に、宇久島から福江島に移ってこの地に城を築いたことから城岳と呼ばれるようになったという。駐車場近くの東屋のある第2展望所からの眺めもいいが、さらに遊歩道を5分ほど登った山頂の展望所には無線中継塔を兼ねた第1展望台があり、福江島の北部や白石湾、奈留島や中通島など点在する島々が360度のパノラマで一望できる。登山口は水ノ浦教会側と岐宿診療所側にあり、所要30分ほどのハイキングを楽しむのもおすすめだ。

旧五輪教会堂

五島列島南部の久賀島東岸、奈留瀬戸に面して立つ小さな教会堂。久賀島初の教会堂は、明治14年(1881)建立の旧浜脇教会堂で、昭和6年(1931)の建替えを機に、かつての潜伏キリシタンの集落・五輪地区が譲り受け、現在地に移された。昭和60年(1985)にすぐ隣に新しい教会堂が建設され、この旧教会堂は文化財として福江市(現五島市)に寄贈されて修復工事が施された。五島で最古の木造教会で、外観に民家の形式を残した瓦葺木造平屋建て。創建時の形態をよく残しているが、移築の際に正面玄関が加えられ、祭壇背後の下屋も拡張された。内部は三廊式で、板張りのリブ・ヴォールト天井となっており、装飾の少ない礼拝空間をもつ初期の木造教会建築の代表例として国の重要文化財に指定されている。

久賀島

下五島の中心・福江島と田ノ浦瀬戸を挟んだ北にあり、五島列島の中では福江島、中通島に次いで3番目に大きい島。久賀湾を中央に馬蹄形をした周囲約52kmの島で、中心は久賀湾の奥の久賀地区。江戸時代には田ノ浦に福江藩の代官所が置かれ、江戸末期には開拓政策から大村藩外海から潜伏キリシタンであった人々が移住。現在は世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産に登録されている。五島列島の中でも久賀島には特にヤブツバキが多く自生し、田ノ浦地区には長崎県指定天然記念物のヤブツバキ原始林があるほか、植栽もされて工芸や食用、燃料などさまざまな形で利用されてきた。凛とした赤く美しい花を咲かせる冬の景観は見事。久賀湾に面した緩傾斜地の棚田やヤブツバキの景観などから「五島市久賀島の文化的景観」として島全域が国の重要文化的景観にも選定されている。見どころは旧五輪教会堂や、牢屋の窄殉教記念教会堂、潜伏キリシタンの墓地、折紙展望台など。潜伏キリシタンの歴史とツバキの美しい景観、人々の温かさに触れられる島だ。

奈留島

五島列島の中部に位置し、五島市に属する人口約2300人の島。周囲約75kmの複雑に入り組む海岸線をもち、標高193mの遠見番山を筆頭に水晶岳、城岳などの山々が連なっている。15世紀~16世紀半ばには、天然の良港があることから日明貿易の遣明船の寄港地だった。奈留氏が統治していたが、江戸時代に五島(福江)藩の配下に。江戸末期には大村藩との協定で移住した隠れキリシタンの開拓民が、葛島や赤崎、矢神などに小さな集落をつくった。明治時代以降、島内各所に教会が造られ、平成30年(2018)には、江上地区が世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つとして登録。江上天主堂をはじめ、奈留神社、奈留千畳敷、小田河原展望所や城岳展望所、五島市笠松宏有記念館、神秘的な汐池などの見どころがあり、キャンプや海水浴、養殖真珠のアクセサリー作りや奈留島名物のふくれ餅作りなどの各種体験もできる。松任谷(荒井)由実作詞作曲の『瞳を閉じて』はこの島をイメージして作られたもので「ユーミンの歌碑」もある。

宇久島

五島列島最北端に位置する島。遠浅の白い砂浜が続く大浜海水浴場やゴルフが楽しめる平原草原、また島中央には五島富士とよばれる城ケ岳があるなど、豊かな自然に囲まれている。歴史的には、壇ノ浦の戦いに敗れた平家盛を始祖として、平家が7代にわたりこの島を統治したといわれている。平家盛公上陸地や東光寺など、家盛に関連する建造物が多数見受けられることから、平家との深い繋がりがうかがえる。

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