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野崎島の集落跡

世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つ。五島列島北端部の野崎島は江戸時代には平戸藩に属した島。江戸後期に大村藩の外海地域から100名ほどが入植したが、その多くが潜伏キリシタンであった。島中央部の野首、南部の舟森の2集落では密かに信仰が続けられ、「信徒発見」の翌年の元治3年(1866)、野首の信者が大浦天主堂を訪ねたことから、両集落の住民は平戸に護送されて拷問を受けた。明治6年(1873)、迫害から解放されると舟森・野首それぞれに木造教会ができ、明治41年(1908)にはレンガ造りの野首教会(現:旧野首教会)が完成。戦後は過疎化が進み、現在は無人の島となったが、野首・舟森集落跡や旧野首教会では、潜伏キリシタンの暮らしの跡を垣間見ることができる。野崎島へは必ず事前におぢかアイランドツーリズム協会に連絡し、上陸後は野崎島ビジターセンターに立ち寄ること。

野崎島自然学塾村

昭和60年(1985)閉校の小値賀小・中学校野崎分校の木造校舎を再利用した簡易宿泊施設。旧野首教会や白砂の野首海岸まで徒歩約1分というロケーション。宿泊室、トイレ、浴室、炊事棟、テントサイトなどが完備され、子どもキャンプや修学旅行などの格好の場となっており、個人旅行者も多い。宿泊・日帰りともに食事は自炊で、日帰りも野外炊飯場や施設内の調理室、シャワーが使用できる。日帰り・宿泊ともに7日前までに要予約。事前予約で釣り竿やBBQセットの貸し出しも。宿泊は1泊1人3780円~。島への渡航は事前におぢかアイランドツーリズム協会に連絡し、上陸後は野島崎ビジターセンターに必ず立ち寄ること。

小値賀町歴史民俗資料館

江戸初期に壱岐から小値賀島に移り住み、捕鯨や新田開発、酒造業などを営み、小値賀に大きな富をもたらした豪商・小田家。その屋敷を町が譲り受け、一部新館を併設して開館。約1650平方mの敷地内には母屋や土蔵、江戸時代作庭の石州流庭園があり、先祖代々の什器や陶磁器、古文書などで小値賀の一時代を築いた小田家の事跡を紹介。邸宅や家具などからも当時の暮らしぶりに触れることができる。町内の原始・古代の遺跡から発掘された石器や土器、中世の中国貿易に関わる陶磁器、近世の捕鯨道具・茶道具なども展示。野崎島のキリシタン資料や旧野首教会の修復前のステンドグラスも興味深い。

旧野首教会

世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「野崎島の集落跡」。その野崎島のほぼ中央部、小高い丘の上に立つ教会堂。禁教時代に信仰を守り抜いた野首集落の17戸の潜伏キリシタンたちは、明治16年(1883)に最初の木造教会を建立。現教会堂は明治41年(1908)の完成。教会堂建築で知られる鉄川與助の設計・施工で、リブ・ヴォールト天井を持つレンガ造りだ。外観や構造は洋風だが、曲線を出すため壁の骨組みには竹と縄を使い、漆喰仕上げにするなど、日本の伝統的建築技術も使用。昭和46年(1971)に最後の信者が島を離れ、後に小値賀町が改修。長崎県指定有形文化財となって、かつての島民の生活や信仰の様子を物語っている。島への渡航は事前におぢかアイランドツーリズム協会に連絡し、上陸後は野島崎ビジターセンターに必ず立ち寄ること。

カトリック小値賀教会

小値賀港の北方に位置する、カトリック仲知小教区の巡回教会の1つ。民家のような小さな教会堂は、明治14年(1881)に野崎島の舟森集落に建てられた瀬戸脇教会の司祭館だったもの。キリスト教徒のいなかった小値賀島に、昭和47年(1972)の集団移転で野崎島を離れた信徒たちが移築したもので、歴史を物語る文化財でもある。祭壇の後ろ左手には旧野首教会から移されたザビエル像が、右手には瀬戸脇教会にあった聖母子像が安置されている。教会内の見学はおぢかアイランドツーリズム協会に事前に連絡を。

沖ノ神嶋神社

野崎島北部、原生林に覆われた山中に鎮座する古社。海を隔てた小値賀島の「地ノ神嶋神社」と対面するように社殿を構え、背後には高さ24m、幅12mの巨石「王位石[おえいし]」がそびえ立つ。飛鳥時代の慶雲元年(704)に、地ノ神嶋神社とともに遣唐使の航海安全を祈願して建てられたと伝わる。島最古の野崎集落の人々によって崇敬され、神官は島最後の住人として平成13年(2001)まで島を守った。神社へのルートは険しい山道のため、おぢかアイランドツーリズム協会が10~6月に催行する「王位石トレッキング」の利用がおすすめ。野崎島への渡航の際は事前におぢかアイランドツーリズム協会に連絡し、上陸後は野島崎ビジターセンターに必ず立ち寄ること。

野崎島

五島列島北端近くに浮かぶ南北約6.5km、東西約2kmの島。急陵な地形で強風が吹く自然の厳しい島だが、鳥類や動・植物の宝庫で約400頭の野生シカやイノシシが生息する。住民は昭和40年代に小値賀島に集団離村。現在は野崎島自然学塾村の管理者以外は無人。野崎、野首、舟森の3集落跡のうち、旧野首教会の立つ野首と島南端の舟森は「野崎島の集落跡」として、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産に登録。石積みの段々畑跡が残る島は国の重要文化的景観「小値賀諸島の文化的景観」にも含まれ、白砂の野首海岸や島北端部の沖ノ神嶋神社などの見どころもある。野首~舟森間の里道や沖ノ神嶋神社へのトレッキングはガイドツアーの利用がおすすめ。島への渡航は事前におぢかアイランドツーリズム協会に連絡し、上陸後は野島崎ビジターセンターに必ず立ち寄ること。

小値賀島

五島列島北部に浮かぶ周囲30km、人口2300人ほどの島。小値賀町は、小値賀島を中心に、小値賀島と橋でつながる斑島と黒島、定期船が通う大島、納島、六島、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産となった集落跡がある野崎島など、大小17の島々から成る。室町時代には日明貿易の港湾拠点で、江戸時代には平戸藩に属し押役所や遠見番所が設置された島で、笛吹地区には讃岐屋、薩摩屋、大阪屋などの屋号の商家が現在も残る。海風を避けるための石垣の景観は、国の重要文化的景観「小値賀諸島の文化的景観」に選定。複雑な地形の島には亜熱帯性植物や野生生物も多く、懐かしい日本の原風景が残る島として「日本で最も美しい村」の一つにもなっている。姫の松原や赤浜海岸、平戸藩松浦家ゆかりの長壽寺、神方古墳などの見どころのほか、多種類の体験や古民家ステイも好評。

斑島のポットホール(斑島玉石甌穴)

五島列島の北部、小値賀島と橋でつながる斑島。その斑島の北東端、玉石鼻にある国指定天然記念物の甌穴。堅い玄武岩の溶岩の裂け目に海水が入り、その出入りする海水の勢いで欠けた岩が回転。周囲の岩壁を削り取ると同時に、欠けた岩が丸い玉になっていった海蝕による甌穴だ。今もなお甌穴を掘り下げており、穴の深さ約3m、口径は上部が約2m、底部は約1m、玉石は直径50cm。日本国内では最大級で、地元では「玉石様」と呼ばれ、白い鳥居が建てられて神秘的だ。歩道はあるが、険しい岩場なので波が高い日には危険で近づけない。

久賀島の集落

世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産で、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するために選んだ移住先の一つ。18世紀末、五島藩と大村藩の協定により、大村藩の外海地域から潜伏キリシタンの農民が、久賀島にも開拓民として移住。永里や細石流[ざざれ]、大開[おおびらき]、五輪などの集落をつくった。観音像をマリア像に見立てたマリア観音に祈りをささげるなど、集落ごとに指導者を中心にひそかに信仰を続けたという。明治元年(1868)から始まったキリシタン弾圧「五島崩れ」のきっかけは、久賀島の潜伏キリシタンらが長崎で洗礼を受けたことから。今も島内には「牢屋の窄殉教事件」などの史跡が残り、仏教徒の島民と行った漁網の巻き揚げ作業のロクロ場跡、解禁後に建てられた浜脇教会や旧五輪教会堂、各集落に残る潜伏キリシタンの墓地などが歴史を物語っている。

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