函館市北方民族資料館

北海道と関係の深いアイヌ民族を中心に、北方民族の暮らしや文化について紹介している。市立函館博物館旧蔵資料をはじめ、函館が生んだ考古学・民俗学の権威である馬場脩氏や児玉作左衛門氏が収集した資料を展示。伝統的な文様の刺繍や彫刻を施した衣装や生活用具、大陸との交易を示す山丹服(蝦夷錦)、アリュートの皮舟「バイダルカ」など、見応えある展示内容だ。大正15年(1926)に建てられた、旧日本銀行函館支店の建物を利用している。

北海道と関係の深いアイヌ民族を中心に、北方民族の暮らしや文化について紹介している。市立函館博物館旧蔵資料をはじめ、函館が生んだ考古学・民俗学の権威である馬場脩氏や児玉作左衛門氏が収集した資料を展示。伝統的な文様の刺繍や彫刻を施した衣装や生活用具、大陸との交易を示す山丹服(蝦夷錦)、アリュートの皮舟「バイダルカ」など、見応えある展示内容だ。大正15年(1926)に建てられた、旧日本銀行函館支店の建物を利用している。

函館にゆかりのある、石川啄木をはじめとする作家の直筆原稿や愛用品を展示している。建物は、大正時代に第一銀行函館支店として建築されていたものを修復して使用している。

昭和57年(1982)に開園した都市公園。「函館」の地名は、津軽の河野政通が戦国時代にこの地に来て箱型の館を築いたことからとか。江戸末期に箱館奉行所が最初に置かれた地で、明治期には開拓使函館支庁や函館県庁などもあって函館市の行政の中心地だった。園内には明治期建築の旧北海道庁函館支庁庁舎や旧開拓使函館支庁書籍庫のほか、函館の都市形成に貢献した今井市右衛門ら4人の像、山側に隣接して国指定重要文化財の旧函館区公会堂も立つ。パーゴラやバラ花壇なども整備され、8月には「はこだて国際民俗芸術祭」も開催。

函館山の麓、元町公園や旧イギリス領事館のすぐそばにある芝生の広場。安政元年(1854)に函館に来航したアメリカのマシュー・ペリー提督の函館来航150周年を記念して、旧市立函館病院跡地にペリー提督来航記念碑が建立され、「ペリー広場」の愛称が付けられた。広場の高台に立つ記念碑は、函館港を見下ろすように悠然と立つペリー提督の銅像が印象的だ。ちなみに、ペリーは函館を「天然の良港」と賞賛した。

津軽海峡や市街の眺めがすばらしい公園で、わが国最初の地方博物館や、啄木の歌碑もある。桜の開花時期にはソメイヨシノなどが咲き、夜桜を楽しむ人々で賑わう。

魚見坂を上った先、函館湾を見下ろす高台にある。安政元年(1854)のペリー来函に同行し、函館で亡くなった水兵2人を埋葬したことに始まる外国人墓地。以来イギリス、中国、ロシア、フランスなど祖国を遠く離れ、洋上、あるいは函館の地で亡くなった多くの外国人が葬られている。プロテスタント墓地とロシア人墓地、中国人墓地が隣接してあり、函館港内を一望できるビュースポットとしても知られている。

函館の主要な坂の中では最長の約720m。かつては2本の坂で、長い歴史の中で「称名寺坂」や「改心坂」など、さまざまな名で呼ばれてきたが、明治12年(1879)の大火後、現在のような1本の坂となった際、地域の繁栄・発展を祈って春を意味する「弥生」の名が付けられた。道幅が狭まった坂の上部付近には、己巳役[きしのえき]海軍戦死碑や咬菜園跡などがあり、箱館戦争ゆかりの地となっている。

かつては函館市庁舎があった元町の中心を通る坂で、坂の下に里数の道路元標が立てられていたことが名前の由来。石畳で道幅が広いうえ、坂の頂上の元町公園からは函館湾の眺めがよく、坂下からは函館山と、元町公園に隣接する国指定重要文化財の旧函館区公会堂が眺められる。函館市旧イギリス領事館やペリー提督来航記念の碑など、途中のみどころも多い。

港の旧桟橋から元町の中心部を割って船魂神社までまっすぐ伸びる細い坂。坂上からは函館湾が一望でき、空模様を見られることからこの名が付いた。坂上の船魂神社は、保延元年(1135)からの歴史と義経伝説が残る。

元町エリアには函館山の山麓から港に向かって、何本もの坂道がのびる。情緒ある石畳の路面沿いにカトリック函館元町教会や函館聖ヨハネ教会などが立ち並ぶ大三坂[だいさんざか]や、函館港に浮かぶ函館市青函連絡船記念館摩周丸を望む八幡坂[はちまんざか]は絵になる風景で、散策スポットとして人気だ。冬の「はこだてイルミネーション」期間中の八幡坂や二十間坂もロマンチック。坂の起点や途中には、坂の名前の由来を説明する柱が立つので、足を止めて一読したい。